熊本地震での自粛ムードについて思うこと

地震被災された皆様には1日でも早く今までの日常が戻ることを願い、支援をさせていただきます。

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Twitterで書かせてもらったことと重複しますが、大事なことなのでブログでも。あくまでも一個人の感想ではありますが、広告のデザイナーというメディアやアートに近い感覚の人間が考えたことと体験談です。

 

こんなツイートをみました。

この被災者が言った「テレビ」が「娯楽」が欲しいという意味なのか、「情報」が欲しいという意味なのかはわかりませんが、このツイートで思い出したことがありました。

 

東北の地震被災した宮城の友人のこと。彼女は医者ではないのですが病院に勤めており、津波によって周りの建物や自分の車が流されていくのを目の当たりにした人です。その彼女が当時のことを話してくれたことがあって、病院に何日も取り残された時に一番欲しかったのは「娯楽」だ、と言っていました。あまりにもすることがなく、人は娯楽がないと争いが起きる、と。医療従事者だらけのその場所で必要とされたのは娯楽。その言葉に私はとても衝撃を受けました。

 

昔から、芸術なんて腹の足しにもならないと思っていたし、衣食住に関わる人ほど生活において必要とされる人だと思っていました。きっとデザイナーさんは似た考えの人も多いと思う。東北の地震の時に見た、日本のトップのアートディレクターたちの「無力感」「結局何もできない感」は「トップの人でもこうなのか」と感じさせられました。

 

そんな無力感も忘れかけていた頃のつい最近彼女と会って、その言葉を聞きました。「生活に関わる職業はもちろん大事だけど、そういう人たちにも息抜きの娯楽は必要なんだよ」と。その時はじめて私は自分の仕事の意味を見出せたのでした。

 

彼女は救助ヘリのデザインについても話してくれて、見た瞬間に「助かった」と思ったのだそうです。救助ヘリであるというのがひと目でわかったとのこと。私が常々デザインの話をしていたのもあってか、そのヘリは安心感のある色、遠目から見ても分かりやすいデザインだったと言っていました。自身がデザイナーであることに初めて誇りを感じました。必要とされていない職業なんてないんだってこと。

 

避難している先では電気なんてもちろんなかったから、緊急時に備えてずっとケータイは切っていたとのこと。過剰な心配のメールや情報のRTは、よかれと思ってしても仇となることもあることを知りました。

 

「自粛すべきである」と「こんな時こそ盛り上げていかないと」という二つの論争をよく目にします。どちらが正しいかなんて被災者当人にしかわからないこと。それでもそんな話が度々持ち上がるのは「相手を慮る精神」の強い日本人の徳だなあと感じます。

 

私がうつの時は、アートに救われたことがありました。同調して涙がこぼれたことも。逆に、テレビは刺激が強すぎて笑い声からは離れるようにして生活していました。

 

辛いことがあった時、一人になりたい人もいれば。友達に話して笑い飛ばしてもらいたい人もいる。一緒に泣きたい人もいる。今までの日常を淡々となぞる方が楽なこともある。

 

経済をもっと回して稼いだ分寄付しよう!という人もいます。いろんな人がいて、いろんな考え方がある。誰も批判すべきではないし、当人のよかれと思ったことをするのが一番だと思います。そこに「相手を思う精神」がある限り、同じ日本人なのだから、間違ったことはないんだと、そう思うのです。