結局みんな誰かに花マルをもらいたいのだ

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今はもう覚えていないけれど、子供のころは上手に絵を描けただけで花マルをもらえた。ほめてもらえるのがうれしくて、毎日のように描いていたら、いつの間にか上手になってしまったタイプだ。誰もがそんな経験をしながら、得意を伸ばしていくのだと思う。


思い出したことがある。ある日、まだ私がこどものころ、学校の算数のテストで96点を取ったのでちょっと自慢げに家へ帰った。そして、それをお母さんに見せたら、


怒られたのだ。


6歳と4歳上の2人の兄達は、とても優秀で、彼らは100点しか取ったことがないのだという。そんなことを、小学生のころに母から教えられた。この出来事がよっぽどショックだったのか、今でもよく思い出す。


うつになりやすい人の傾向として「完璧主義」な性格がある。私自身はほんとに面倒くさがりで、よく待ち合わせに遅刻するし、完璧主義とは程遠い。でも、何かをつくる上で「100点満点の花マル」じゃないと意味がないという思いだけは常にあったように思う。


社会人になってデザインの仕事をするのは楽しかった。結果が目に見えるからわかりやすい。すべてのことは0点か100点のどちらかで、いかに良いデザインを作っても、仕事を受注できなければ0点だ。だから全ての仕事を120点で仕上げる。そのようなことを朝礼で話したら、先輩から「いつも60点でいることも大事だよ」と言われた。当時の自分には理解できなくて、この人は甘えてるな…と思ったりした。


そして、いつものように出社して、自分のデスクに座り、ディスプレイの電源をつけたら突然画面がゆがんだ。あれ、おかしいなと思っていたら、涙が次々とあふれだして止まらなくなった。自分でも何が起きたのか全く分からなくて、とりあえず早退した記憶しかない。


家に帰って布団に入っても、過去の失敗したことや言葉がとめどなく頭でリピートされる。身体が鉛のように重たくて、すぐそばにあるケータイにも手が届かない。数ヵ月間はそんな感じだった。


うつのとき、私が何より怖かったのは「会社をクビになる」とか「生活できなくなるかも」とか、そんなことじゃなく、一番恐れていたのは「作れなくなること」だった。私が100点を取れる唯一の武器だった「デザイン」が、全く作れなくなってしまった。頭で情報を整理して組み立てるということが全くできない。そもそも文字が記号にしか見えなくて、100点どころか、名前さえかけない0点だ。作れない自分は生きている意味がないとさえ思った。

 

多くの人は自分が100点の花マルであることを望んでいる。

自分なりの武器をもって、隣の人には負けないように。小さなマルには飽き足らず、花マルを取ってやろうと躍起になる。一度うまくいけば、次も、その次も。それが悪いことだとは言わないし、私もいまだに「やっぱり花マルがほしい」と思う。


でも最近思うのは、「いつか花マルが取れるようにがんばる」でいいんじゃないかってこと。


今はそのための練習問題を解いているんだと。いつもいつも、完璧である必要はない。花マルの連続獲得王者であろうとすると、その考え方は知らず知らずのうちに自分を追い詰めてしまう。失敗するたび自分自身に落胆してしまう原因になる。

「いつも」がんばらなくていい。「いつか」できるようになればいい。

小さなマルを積み重ねながら、のんびりやってみて、80歳になるころ全部合わせて100点になれば、それでいいんじゃないかな。急ぐ必要は、ないのかなって。そもそも点数にこだわる必要もないのかな?なんて。誰かに花マルをもらうことに執着する必要もないのかな?なんて。

自分で自分に合格を出せたら、きっとそれが一番ハッピーなのだ。